2011/10/08

ロハスとかノマドとか、言葉の使われ方について。

今年の夏に「玄菜麺を300円で食べられます!」というイベントを新百合ヶ丘で開催しました。通りがかりの年配の女性二人が興味を持ってくれました。すると、身内の男性が来て、「これさ、ロハスだから他行こ。」と言って連れて行ってしまいました。あらら、好みではなかったようです。ベジやオーガニックフードをロハスというカテゴリーで分けてしまう、、。否めませんがこれが一般的な世間の認知なのかも知れません。
ロハスというワードに特別な感情を抱いているわけではありませんがWikipediaではこのように解説されています。復習してしまいました。

LOHAS(ロハス、ローハス)とはLifestyles Of Health And Sustainability (健康持続可能性の、またこれを重視するライフスタイル)の略。健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイルを営利活動に結びつけるために生み出されたマーケティング用語である。日本経済新聞が2002年9月、LOHASを紹介する記事を掲載。その後、月刊誌『ソトコト』が2004年4月号でロハス特集を組むなど、マスメディアが注目したことでロハスが広まっていった。

90年代終わりに米国で生まれた造語で、誰かが日本に持ってきたんですね。言葉の意味はとても大事なことを言っていると思うのですが今使うと何か古さを感じてしまう。なぜ?

世に向けて何かを仕掛けるには様々な手法がありますが、一例としてはその対象を一言で表現するワードをまず作ります。それをメディア発信し、バイラルさせ広く浅く認知させます。今だとソーシャル・メディアとも連動させます。いわゆるバズ・マーケティングです。「なんだ?なんだ?」を狙うわけです。

もちろん実体(商品)が全てですが、結果うまくいくとブームになります。ムーブメントです。それをまたメディアが取り上げる。また広がる。これはこれで成功です。しかし、忘れ去られるのもとても早い。流行化するからです。移ろいが早い現代社会ではせいぜい数ヶ月です。本当に早い。例えば昨今の音楽業界を見ているとよくわかります。昨年流行った歌なんてぱっと出てこない。(僕だけ?)インスタント食品みたいになっています。作るのも、食べるのも3分。ついでに表層的な認知なので誤って伝播されたりもします。必然なのかもしれませんが、流行化、メジャー化することが必ずしもいいとは思いません。言葉とは使い方や使われ方によって一気に陳腐化してしまう。すぐに「死語」とか「古っ!」って言われちゃう。

『フラット化する世界』の著者トーマス・フリードマンが「その先」を描いた『グリーン革命』には、地球温暖化、人口増加、次世代エネルギー、オイル依存、中国とインドの経済発展がもたらす気候変動など世界中の多くの問題に国や企業はどう取り組んでいくべきか、といったことが書かれています。

IT時代の次はグリーンだ、エコだ、地球環境とエネルギーだ、なんて見出しをよく見かけますが、それらのテーマは何十年も前から語られています。そろそろちゃんと考えようよ、というムードが漂ってきています。流行ではありません。

そんなこと一々考えていられない、日々の生活や自分のことで精一杯だ、という方もたくさんいると思います。どちらかというと僕もそちら側です。しかし、オーガニックライフスタイルや、菜食、予防医学的生活習慣などについてはとても興味がありますし、必要性を感じているので何か動いていきたいなと思い始めました。何にせよ、自分軸をそこに置いておきたいというか。

僕は啓蒙活動家ではありませんが、気を付けたいと思うのは「流行化」させたくないな、ということです。そんな一瞬の話ではないと思っているからです。もしかしたら自分たちの日々の生活がより良い方へ行くんじゃないかと思っていますし、事実や情報として知ることで自分の仕事や、これからやっていこうとしているプロジェクト、ライフスタイルにリンクさせていくことはとてもおもしろいだろうと感じています。時代のキーワードを提唱しながら新しい生き方、新しい働き方について言論活動をされている玉置沙由里さんの言葉を借りるならば「創職」です。

最近、ノマドという言葉もよく聞くようになってきました。はてなキーワードによると、


北アフリカの砂漠や中央アジアの草原で、羊や牛を追って生活している遊牧民。最近では、「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイルを実践している人々の意味でも使われる。

ライフスタイルのイノベーターたちが使い始め、じわじわと広まってきています。(既に1980年代に建築家の黒川紀章氏が「ノマドの時代~情報化社会のライフスタイル~」で提唱していますし、フランスの経済学者であり、ヨーロッパ最高の頭脳と呼ばれているジャック・アタリ氏もほぼ同様のことを言っています。)これらは未来社会論であって決して「流行」ではないのです。「ノマドって流行ってるの?」とかそういうことではないのです。

311以降、サマータイム導入や節電による自宅ワーク、クラウド活用によるコ・ワーキングなど効率のいい働き方や新しい仕事術についてなど多くの見直しや模索があったように思います。こういう考え方が徐々にでも浸透してくると日本社会はまた新しくなると思います。こういうことを言い始める人も増えています。これって楽しそうな社会。

社員も仕事を掛け持ちする時代(アジア+ノマド)

人を管理する側の立場の人には理解しがたい、困る話かも知れません。「やることやっててくれれば自由にしてていいよ。」と言っているようなもので日本の会社は集団意識が強固なので浸透するのにはまだまだ時間がかかります。

日本の会社システムは従業員に固定給を払うことでその人の「時間を買う」という意識があるので自分の時間を会社に捧げる、という図式になっています。当然副業を禁止する。休むことも仕事だ、という認識もあるのでその時間にまた仕事されることで体力的に本業に影響が出ることを良くは思いません。それから経営者のプライドがあるのかも知れません。「ウチじゃ不服か。」っていう。結果、縛られたくない、自力で仕事を作れる人は集団組織から離脱していきます。セルフマネージメントできない人には無理な仕事術であることは言うまでもありません。

ロハスだのスローライフだの、オーガニックだのノマドってのは未来社会論を語る上では必須ワードであることは間違いなさそうです。言葉(表現)は概念として大事なものですが、ファッション(流行)で片付けるのではなく、言葉の意味と時代のながれを見極めて本質を知っていくべきなんじゃないかなって思うわけです。

まずは自分が実践してくしかないのですが!

言っているだけではなくてね。