2012/04/18

評論家のペースに飲み込まれそうなときはさっさと離席しよう。

『マイクロソフトでは出会えなかった天職』(ジョン・ウッド著)を読み終えました。マイクロソフト社で働いている著者はネパールに旅に出ます。非識字率70%のネパール。小学校に図書館がないことに彼は驚きます。子供が本を読めないなんて。どうやって勉強するんだ。彼はこの地域に世界中から本を集め、図書館を作る活動をしようと決意します。友人知人に本を集めるメールを送ると反響は大きく、瞬く間に膨大な本が集まり始めました。

頭の片隅から声が聞こえた。「わかっているくせに。きみがいなくてマイクロソフトが困るのは、せいぜい一ヶ月か二ヶ月のこと。すぐに誰かが穴を埋める。きみなど最初からいなかったみたいにね。でも、貧しい村に学校や図書館を建てる手助けをしようと思う人が、何千人もいると思うか?この仕事はだれもやっていない。きみが挑戦しなくてどうする」

彼は様々なトラブルや問題を乗り越えて夢を実現していきます。世界を良くする、人のためになる「社会起業」というテーマも時代に即していることもあり、とても売れている本です。僕も共感した一人です。

この本でも「最悪の選択肢は何もしないこと。」と書かれてありました。そうなんですよね。湧き上がる情熱とやるべき活動(対象)を見つけたとき、「やめる理由」を言ってくる連中になんて耳を貸さないことです。失敗をあざ笑う連中も。

僕は「朝起きたときにエネルギーが沸いていて、今日一日をワクワク過ごそうという気持ちになれているか。」を考えるようにしています。今そうでなくてもいいんです。いかにこういう状態や環境を自分自身に作っていけるか。そう、自分次第です。

人間にはバイオリズムがあるからスランプもあるし、常にハッピーなんてことはありません。基本はこのレベルでいられるための努力やセルフコントロールをすることが大事だと思います。

僕は小さな「失敗」を度々おかしています。企画を出しても通らなかったり、頓挫したり、空中分解したり。人にかっこよく語ったあげく、ツルっとすべったり。むしろ、そういうことの方が多いくらいです。

例えば、Vege&Forkをやり始めたことでお願いされることや仕事もあります。考えた結果受けたならばそこは一生懸命やります。お店を盛り上げる仕掛けに協力したことも一度や二度ではありません。知ってる人は多いと思います。うまくいくか、そうでないかはやってみてわかることなのであまり考えても仕方のないことです。しかし、うまくいかなかったりすると、皮肉を言われたり、笑われたりすることもあります。心配してくれているのか、バカにしているのかよくわからない人もいます。

そんな時は結果社会だから仕方ないと割り切ります。別に言い訳もしません。凹んでますが。

でもはっきり思っていることがあります。

「は?こんな程度のことが『失敗』だと思ってるの?」
「そんなこと言ってたら世の中、失敗だらけじゃん」、と。

評論家は実に多いんです。傍観者でいることが快感なんでしょう。自分は損をしないから。評論することで自分は間違っていないと思っている。高みの見物。なるほどわからなくもありません。

傍観者はまぁいいとして、やはり仕事をする上では相手の人がどういう人かを知ることはとても大事です。逆を言えば自分がどう見られているかも大事ということでもあるわけです。
「こいつはきちんとやるやつなのか?」と思われている。

残念ながら評価は他人がすることなので自分がどんなに着飾ってもあまり意味はありません。スケールしようとし過ぎて逆にメッキがはがれる人もいます。ブラフが必要なシーンもありますが、人の目は節穴ではないんです。実体と行動が全てです。自分自慢系の人は結構多い。僕の少ない経験上、会話の主語に一人称が多く、自分自慢を多く語る人とはうまくいかない確率が高いです。本能的に受け付けないのかも知れませんね、生理的に脊髄反射を起こします。

前向きに一緒に取り組める人かそうでないかも少し一緒に動いているとよくわかります。見分ける判断としては意見交換をしたときに代替案を出せるかどうか。(わからない、は別。後出しジャンケンは論外。)時には意見が合う、合わないよりも大事かもしれません。僕のアイデアや意見、考え方にNGでもいいんです。前向きの発想で議論できているかがとても重要だと思います。むしろ活気が出てくる。真逆であっても議論しうる代替案が出るということは少なくとも「前向き」なんです。

失敗の数が多い人こそ、うまくいったときの達成感や幾ばくかの幸せを感じる感度が上がっていくんじゃないかなと思います。そう信じているというか(笑。

夢を見てばかりでもしょうがないし、現実的な考えや行動は必要なんだけど、やはり楽しいこと、明るいことを考えられないようになるのはつら過ぎます。そんな日常の中、上記のような書物やソーシャルメディアなどのウェブ上の言論にメンタル的に助けられることもあります。

やはり自分のペース、軸を持つべき。でなければ主体的に仕事をしていくのは大変です。相手が評論家タイプであるとなおさらです。